『ホッタラケの島 遥と魔法の鏡』・・・ヒトが最後にホッタラケにするものとは?
今月公開作の中で実は一番気になっていた作品。
“期待”ではなくあくまで“気になる”という次元での興味だったわけだが、ストーリー、設定、世界観、美しい2Dの背景、そしてそこに重ねて描かれる3DCGのキャラクターたちとどれも私にとってたまらなく魅力的で、予想以上の秀作だった。
CG作品であるという前宣伝が効いているため、初っ端のまるで紙芝居的のような描写にまず面食らう。「むか~しむかし」の語り口とその味のある絵は、まるで“まんが日本昔ばなし”の世界だ。
ここで語られる狐の民話が本作の下敷きになっていて、病床の母(戸田菜穂)が幼い頃の遥(綾瀬はるか)にその絵本を読み聞かせているという場面につながっていく。そして物語のキーアイテムとなる手鏡も登場。この導入はなかなか上手い。
月日が経ち高校生になった遥が、ふとしたことから無くしてしまったその手鏡を気にし始める。
お母さんの形見なのに、あんなに大事にしていたのに・・・。
鏡が見つかるよう神社にお参りに行った遥は、狐(のような生き物)がおもちゃの飛行機や遥の落とした鍵を持って立ち去るのを目撃し、その後を追って森の中へ・・・。
そのゴチャゴチャ感が、宮崎駿や大友克洋の描く世界を彷彿とさせるホッタラケの島。そこに迷い込んだ遥の動じない姿がいい。住民の狐テオ(沢城みゆき)をたちまち自分の味方につけ、異次元世界への恐怖よりも好奇心が先に立つというある種の頼もしさになぜか不自然さはない。母の手鏡の行方を追う姿勢はなかなか強気である。
一方でこの威勢のよさがふっと不安や悲しみに変わる場面も多く、現実世界での無気力無関心な態度とのギャップも含めこうした起伏にとんだ性格描写が、あっさりタッチのCG造形に文字通り命を吹き込んでいる感じがした。そして言うまでもなく綾瀬はるかの芸達者振りもまた遥をいっそうリアルなキャラクターへと作り上げていく。
そのあっさりなCG造形だが、目鼻や髪などは控えめで記号的な処理にしたのが成功していると思う。リアルともデフォルメとも違う造形、私は好印象を持った。(昨年秋の『バイオハザード ディジェネレーション』のCGは確かにすごかったが、髪の1本、まつ毛の1本、顔のしわの1本まで表現されると・・・)
テオのキャラもいいねぇ。飛行機に憧れ空を飛びたいと思っている少年(?)だが快活なタイプではなく、いじめっ子3人組の嫌がらせにも冷めた反応しかできない。ところが遥に対する意に反しての裏切り行為のあとで、彼女の救出に立ち上がってからはそんな態度も一転する。いじめっ子や住民たちに呼びかけ飛行機を作り上げてしまった彼は、遥を捕らえた男爵の元へと出来立ての危なっかしい飛行機(フラップとエルロンがバタバタしてるよ~)を離陸させる。まるでシータを助けようとするパズーみたいだよ、テオ!(笑)
“ホッタラケ”とはヒトがいつの間にかほったらかして忘れてしまった物のこと。元々はとても大切な物だったはずなのに、ふと思い出したときにはどこにもない。そんな時、それはもう狐の手によってホッタラケの島に運ばれているのだ。ある閉ざされた空間でテオが言う。
「ヒトが最後にホッタラケにしてしまうもの、それは“思い出”なんだ」
周囲に浮かびあがる遥たち家族の楽しかった日々。それは手鏡がずうっと写してきた遥と家族の懐かしい記憶、思い出だ。島で再会するぬいぐるみコットンを、父からプレゼントされた日のこともしっかりと思い出す遥。母の死後ついそっけない態度をとってしまう父(大森南朋)が、これまで自分に注いでくれた愛情にも同時に気付く。
遥にとって家族の温かい思い出は、ホッタラケにしていたというよりは封印した辛い記憶でもあったのだろう。
しかしテオの言葉でもう一度それを見つめ直す勇気を得た遥は、母の手鏡と父のコットンを抱き、いまや強い絆で結ばれたテオとともに出口へ飛び出していく・・・。
異世界に迷い込んだ主人公たちが向こうの世界の住人と大冒険を繰り広げ、現実の世界に戻って家族の絆を再確認する・・・この筋書きは特に目新しいわけではない。劇場版クレヨンしんちゃんなどでも定番のスタイルで、ハズレにくい変わりに王道の一言でそれこそホッタラケにされてしまう可能性も高いと言える。
また、具体的には割愛するが本作では投げっぱなしのネタや説明不足の展開など詰めの甘さも随所に見られた。
ただそれを帳消しにするほどにラストがいい。
元の世界、夕暮れる神社で目覚めた遥はテオのことをもうひきずっていない。父へ謝ることがこの時の彼女にとって何よりも大切なのだ。電話で答える夕食のメニュー、これが遥の最後のセリフなのも見事である。
ところでこの神社でのラストシーン、私は以下の点からある深読みをしているのだがご覧になった皆さんはいかがだろうか。
テオが別れ際遥に聞こえないような小さな声で言った「さよなら」、目覚めた遥がテオのことを意識していない様子、そもそもホッタラケの島にヒトが来るのはタブーだったこと、そしてテオは一応魔法が使えること。
これらから見えてくる可能性は・・・。これ、深読みし過ぎ?
いずれにしろ、こうして結末に解釈の余地を残しながらも明快な後味の良さで締める作品は大好きである。
夏休みの映画館はやはりテレビ番組の人気者や可愛い動物たちが優位に立つ。この作品、そんな空気の中で“ホッタラケ”にされてしまうのは非常にもったいない。
おまけに3DCGということでどうしても敬遠されてしまいがちだがフルCGというイメージはなく、背景美術には2Dの優しさと美しさががちゃんと残っている。
2Dと3Dの融合ではキャラが2D、メカが3DCGだった『スカイ・クロラ』があるが、本作では3DCGでの魅力的なキャラ造形もしっかりと見せてくれた。2Dを得意とするアニメ大国日本における画期的な試みとしてぜひ多くの人に観てほしいCG作品である。
☆『ホッタラケの島 遥と魔法の鏡』公式サイト
“期待”ではなくあくまで“気になる”という次元での興味だったわけだが、ストーリー、設定、世界観、美しい2Dの背景、そしてそこに重ねて描かれる3DCGのキャラクターたちとどれも私にとってたまらなく魅力的で、予想以上の秀作だった。
CG作品であるという前宣伝が効いているため、初っ端のまるで紙芝居的のような描写にまず面食らう。「むか~しむかし」の語り口とその味のある絵は、まるで“まんが日本昔ばなし”の世界だ。
ここで語られる狐の民話が本作の下敷きになっていて、病床の母(戸田菜穂)が幼い頃の遥(綾瀬はるか)にその絵本を読み聞かせているという場面につながっていく。そして物語のキーアイテムとなる手鏡も登場。この導入はなかなか上手い。
月日が経ち高校生になった遥が、ふとしたことから無くしてしまったその手鏡を気にし始める。
お母さんの形見なのに、あんなに大事にしていたのに・・・。
鏡が見つかるよう神社にお参りに行った遥は、狐(のような生き物)がおもちゃの飛行機や遥の落とした鍵を持って立ち去るのを目撃し、その後を追って森の中へ・・・。
そのゴチャゴチャ感が、宮崎駿や大友克洋の描く世界を彷彿とさせるホッタラケの島。そこに迷い込んだ遥の動じない姿がいい。住民の狐テオ(沢城みゆき)をたちまち自分の味方につけ、異次元世界への恐怖よりも好奇心が先に立つというある種の頼もしさになぜか不自然さはない。母の手鏡の行方を追う姿勢はなかなか強気である。
一方でこの威勢のよさがふっと不安や悲しみに変わる場面も多く、現実世界での無気力無関心な態度とのギャップも含めこうした起伏にとんだ性格描写が、あっさりタッチのCG造形に文字通り命を吹き込んでいる感じがした。そして言うまでもなく綾瀬はるかの芸達者振りもまた遥をいっそうリアルなキャラクターへと作り上げていく。
そのあっさりなCG造形だが、目鼻や髪などは控えめで記号的な処理にしたのが成功していると思う。リアルともデフォルメとも違う造形、私は好印象を持った。(昨年秋の『バイオハザード ディジェネレーション』のCGは確かにすごかったが、髪の1本、まつ毛の1本、顔のしわの1本まで表現されると・・・)
テオのキャラもいいねぇ。飛行機に憧れ空を飛びたいと思っている少年(?)だが快活なタイプではなく、いじめっ子3人組の嫌がらせにも冷めた反応しかできない。ところが遥に対する意に反しての裏切り行為のあとで、彼女の救出に立ち上がってからはそんな態度も一転する。いじめっ子や住民たちに呼びかけ飛行機を作り上げてしまった彼は、遥を捕らえた男爵の元へと出来立ての危なっかしい飛行機(フラップとエルロンがバタバタしてるよ~)を離陸させる。まるでシータを助けようとするパズーみたいだよ、テオ!(笑)
“ホッタラケ”とはヒトがいつの間にかほったらかして忘れてしまった物のこと。元々はとても大切な物だったはずなのに、ふと思い出したときにはどこにもない。そんな時、それはもう狐の手によってホッタラケの島に運ばれているのだ。ある閉ざされた空間でテオが言う。
「ヒトが最後にホッタラケにしてしまうもの、それは“思い出”なんだ」
周囲に浮かびあがる遥たち家族の楽しかった日々。それは手鏡がずうっと写してきた遥と家族の懐かしい記憶、思い出だ。島で再会するぬいぐるみコットンを、父からプレゼントされた日のこともしっかりと思い出す遥。母の死後ついそっけない態度をとってしまう父(大森南朋)が、これまで自分に注いでくれた愛情にも同時に気付く。
遥にとって家族の温かい思い出は、ホッタラケにしていたというよりは封印した辛い記憶でもあったのだろう。
しかしテオの言葉でもう一度それを見つめ直す勇気を得た遥は、母の手鏡と父のコットンを抱き、いまや強い絆で結ばれたテオとともに出口へ飛び出していく・・・。
異世界に迷い込んだ主人公たちが向こうの世界の住人と大冒険を繰り広げ、現実の世界に戻って家族の絆を再確認する・・・この筋書きは特に目新しいわけではない。劇場版クレヨンしんちゃんなどでも定番のスタイルで、ハズレにくい変わりに王道の一言でそれこそホッタラケにされてしまう可能性も高いと言える。
また、具体的には割愛するが本作では投げっぱなしのネタや説明不足の展開など詰めの甘さも随所に見られた。
ただそれを帳消しにするほどにラストがいい。
元の世界、夕暮れる神社で目覚めた遥はテオのことをもうひきずっていない。父へ謝ることがこの時の彼女にとって何よりも大切なのだ。電話で答える夕食のメニュー、これが遥の最後のセリフなのも見事である。
ところでこの神社でのラストシーン、私は以下の点からある深読みをしているのだがご覧になった皆さんはいかがだろうか。
テオが別れ際遥に聞こえないような小さな声で言った「さよなら」、目覚めた遥がテオのことを意識していない様子、そもそもホッタラケの島にヒトが来るのはタブーだったこと、そしてテオは一応魔法が使えること。
これらから見えてくる可能性は・・・。これ、深読みし過ぎ?
いずれにしろ、こうして結末に解釈の余地を残しながらも明快な後味の良さで締める作品は大好きである。
夏休みの映画館はやはりテレビ番組の人気者や可愛い動物たちが優位に立つ。この作品、そんな空気の中で“ホッタラケ”にされてしまうのは非常にもったいない。
おまけに3DCGということでどうしても敬遠されてしまいがちだがフルCGというイメージはなく、背景美術には2Dの優しさと美しさががちゃんと残っている。
2Dと3Dの融合ではキャラが2D、メカが3DCGだった『スカイ・クロラ』があるが、本作では3DCGでの魅力的なキャラ造形もしっかりと見せてくれた。2Dを得意とするアニメ大国日本における画期的な試みとしてぜひ多くの人に観てほしいCG作品である。
☆『ホッタラケの島 遥と魔法の鏡』公式サイト
この記事へのコメント
そうしますとさらに見方が専門的になって、映画も楽しめていいですね!
この映画、すごくベタなんだな~ってわかってしまうんですが(笑)、それでもやっぱり引き込まれてしまいました。
コットンが私は可愛くて好きです。 勇気ありました、彼。。。
造詣というより素人の浅知恵や知ったかぶりです・・・(汗)
ちなみに園芸記事も・・・(滝汗)
CGアニメ作品はやはりハリウッドに分があるのですが、独特のデフォルメが時にしつこく感じます。かと言って悪名高き「FF」や記事中の「バイオハザード」のようにリアルにこだわり過ぎたものではあまりにマニアック。
そう考えると、本作の遥のCGはちょうどその中間的な出来映えでお人形さんのような可愛らしさがとてもよかったと思うんです。
少年少女の冒険ファンタジーの王道ではありますが、3DCGで描いた点を評価したいですね。
コットン、手芸が得意な方ならちゃっちゃっと作れちゃいそうです♪
彼のあのシーンは目を覆いそうになりました・・・。
ラストはいい感じでしたよね。
それだけにテオやコットンとの絡みがやや中途半端な感じがやや残念。
個人的にはテオのキャラクターがあまり効いていないような気がしました。
もうすこし遥との関係性を強くするか、アリスのウサギみたいにナビゲータにしてしまうか、どっちかに振ってしまっても良かったかなと。
コットンについては深堀してラストに巧くつなげるといった感じだったらどうかなあと想いました。
あたしはだめでした。
こういう人情的なお話に、どうも非人間的なCGで語られると、入り込めなかった。
まだアニメで描いてもらった方が、違和感なく入り込めたような気がします。
キャラの個性をもうちょっと生かしてもらうと感動作になりそうなんですが、惜しい感じかな。
あまりに現実的でない異次元の世界より、ちょっと昔とかの方がいいような。
クレしんは、まったくの異次元よりは、ちょっとだけ違う世界という語り口ですもんね。
遥とテオの絆が深まる過程は確かに雑でした。私もこの作品は、コットンに再会した遥が父の愛を再確認するという部分に尽きると思いますので、話をコットンに上手いことリードしてくれる展開だとよかったですね。
「ありゃりゃ」と言われてしまうとは(笑)・・・まあそれだけダメだったんでしょうね。
けっきょくジャパニメーションの真髄は2Dにあるようで、作るほうも見るほうもそこからの脱却はなかなか難しいのかも知れません。
3DCGをウリにしながらもキャラを2Dにしてしまった「スカイクロラ」も今思うとなんだかなーです。
母の思い出から始まり父への思いに帰結するというストーリー、悪くなかったと思うんですがねぇ。
こんなに背景の描き方や色使いが気に入って、楽しく観れるんだったら
去年大きなスクリーンで観とくんだったなぁと今更ちょっと後悔。
ストーリーに推敲の余地ありとも思うけれど、
テオやコットンの造形や質感や可愛らしさ、かなり気に入ってしまいました。
そうそう。遥ちゃんがお父さんに電話で伝えるメニュー。
よかったですねぇ、あのラストシーン。
>結末に解釈の余地を残しながらも明快な後味の良さ
まったくもって、仰る通りです。
2Dアニメの得意な日本のクリエイターたちが3DCGに真っ向から挑んだ・・・と言ったら大げさかもしれませんが、彼らのそんな熱意も感じられましたよね。ストーリーの詰めの甘さは否めませんが、映像はかなり凝っていて素晴らしかったです。
あ、そうそう。テオのキャラは気に入っちゃいました。
はっきりきっぱりすっきり(くどい!)とオチが付かないと満足しない方も多いですが、私はこれくらいの「え、どうなったの?」感があるエンディングが好きなんですよね。