『空気人形』・・・空っぽな代用品の心を満たすのは
新宿バルト9での初日舞台挨拶に、昨年の『歩いても歩いても』の時と同じく是枝ファンつながりの友人と出掛けた。ちなみに原作短編コミックを読み終えての鑑賞。
「公開初日とは出来上がった映画が我々の物からみなさんの物へと変わる日です」
う~む、あいかわらず是枝裕和監督のこういう一言はニクイくらいにかっこいい。『歩いても歩いても』の時の「みなさんが劇場を出たあとに始まる・・・」に匹敵するお言葉。
まじめに語るあまり話が取り留めもなくなってしまう様子がとても好印象なARATAさん。手にしたマイクの何かが気になるらしく上にかざしたり振ってみたりしているそのしぐさが実に可愛かったペ・ドゥナさん。8時45分に起きたことがどうやらあらゆることに影響しているらしい板尾さん。監督と共に登壇されたこの3人のトークも楽しく聞かせてもらった。(司会は映画パーソナリティの伊藤さとりさんでした~)
舞台挨拶後にいよいよ上映。
・・・これはまいった。またしても是枝監督にやられた。今年のマイベストランキング上位確定の予感。
オリジナルにこだわってきた監督が業田良家の短編コミックを原作に脚本を起こした本作は、そのためこれまでとは一味違った作風ではある。しかし原作同様けっして単純なラブ・ファンタジーではない。特に急展開の後半、そのあまりにも切ない人形の“生き様”に激しく胸を打たれる。そして観終ってみればいつもと変わらない是枝作品特有の余韻がじんわりと残るのだ。
最初に人形(ペ・ドゥナ)が動き出すシーンから早くも引き込まれてしまった。持ち主の秀雄(板尾創路)が仕事に出掛けるのにあわせまずは瞬きを1回。やがて朝日の当たるビニール製の手足がキュキュっと動き、次いで立ち上がった人形の透き通った影がカーテンに写り込む描写。そして窓の外に伸ばした手に昨夜の雨の名残である物干し竿の雫が落ちる。タン、タタン・・・。人形は言う。「キ・レ・イ」
ぎこちない動作、片言の言葉で街に出てゆく人形は好奇心でいっぱいだ。そして彼女はこの都会の片隅で生きている様々な人たちと出会う。
交番に足しげく通う着物の女性(富司純子)、その交番の警官(寺島進)、小学生の女の子とその父親(丸山智己)、アンチエイジに執着する会社受付社員(余貴美子)、スーパーで食品を買いあさる過食のOL(星野真里)、かつて代用教員だった孤独な老人(高橋昌也)。そしてレンタルビデオ店の純一(ARATA)とその店長(岩松了)。
彼ら、彼女らはみな心のどこかに虚しい思いを秘めている。そんな自分を否定したり受け入れたりしながらとにかく生きているのだ。
空虚感、そして孤独。
空気で膨らんでいるために中身が空っぽな自分と、空虚な心で生きる街の人たち。「私と同じ、空っぽだ」と言う老人の呟きに、自分との接点を感じとる人形。これが悲しい結末へ向かう最初の伏線にもなっている。
純一に惹かれていく人形の様子がとても愛おしい。街灯の下を純一と歩くとき、影が半透明になってしまうのを見られまいととっさに立ち位置を変え、それでも心配になると影が道路に落ちないよう歩道の端っこにささっと移動する。心を持ったことがうれしくてたまらない人形を描く前半を象徴する名場面だ。
そして原作を読んだ監督が一番惹かれたと語る問題のシーン。萎んだ人形のお腹にある空気穴から純一が息を吹き込むだけの話なのだが、私はそこにドキドキするようなエロを感じた。空気穴を探り当てる純一と恥らう萎んだ人形。やがて膨らみ始める人形の身体、手足の動き、恍惚の表情・・・。
文章にするのがためらわれるほどに幻想的で官能的な映像なので、これ以上触れないことにする。撮影に丸一日掛かったという監督渾身のワンシーン、ぜひ劇場でご覧あれ。
心を持っ(てしまっ)た人形が“空っぽ”な人たちと出会い、自分は一人じゃないんだと思い、やがて恋に落ち・・・。
人形の心がだんだんと満ち足りていくこうした過程を、監督は時間をかけて丁寧に描き出す。これはともすると単なる小ネタの連続になりかねないのだが、是枝監督の手に掛かるとそうはならないのがすごいところ。ガラスビン、ペットボトルの風ぐるま、風鈴といったいかにも監督らしいアイテムを使って描き出す詩的な映像は、観客を飽きさせることがない。こうした時間を止めたかのような美しい表現はやはり是枝ワールドに欠かせない要素だと思う。
秀雄が新しい“人形”を買ってきたことを知り、同時に自分が代用品であること、しかも型遅れの安物であることを悟った人形が訪ねるのは生みの親である人形師(オダギリジョー)。ここでのやりとりも今思うとすべて結末につながっているんだよなあ。
人形は燃えないゴミ、人間は燃えるゴミ
そんな人形師の言葉を胸に刻み、“誕生日”の概念も自分なりに理解した人形。あの老人のように純一も自分と同じだと言ってくれたこと、そして自分が愛する人の息で満たされていることの幸福感。そうした思いが究極の愛情となって悲劇を呼んでしまう。
純一の部屋で見つける写真。人形は思う。やはり自分は代用品なのかと。
切ない。たまらなく切ない。この痛いまでの切なさは強烈だ。二人はなぜこうなってしまうのだろう・・・。
心を持ち、恋を覚え、愛する人を自分の息で満たそうと意外な行動に走ってしまった人形が最後にイメージするのは自分の誕生パーティー。ある場所に横たわり、静かにそれを思い浮かべる人形。胸に抱きしめるのはあの女の子が置いていったオモチャの人形。
そして目の前にはかつて純一が名前を教えてくれたタンポポ。その綿毛がすべて風に舞い・・・。
ラストでふと何かを感じた星野真里演じるOLが、窓を開け放ち生まれ変わったようにつぶやくセリフが効いている。どう考えても悲劇としかいいようのない重苦しい雰囲気が、このシーンひとつで一瞬のうちに違った印象に転じる。そしてこのセリフから人形の最初の言葉が思い出された時、私は涙があふれそうになった。
非生物が何かのきっかけで自我に目覚めてしまうという筋書きの作品は少なくないが、心を持ったことの大きな喜びと深い哀しみの両方をここまで鮮烈に描き切っている作品は他にないかもしれない。
そして何よりすばらしいのはこの作品が人形の映画ではなく、けっきょくは人間の映画だということ。空っぽの心、満たされたい思い、誰かの代用品・・・。誰もが抱えるこうした部分を人形に投影した本作は、そういう意味でも痛く切ないのである。傑作。
★『空気人形』公式サイト
「公開初日とは出来上がった映画が我々の物からみなさんの物へと変わる日です」
う~む、あいかわらず是枝裕和監督のこういう一言はニクイくらいにかっこいい。『歩いても歩いても』の時の「みなさんが劇場を出たあとに始まる・・・」に匹敵するお言葉。
まじめに語るあまり話が取り留めもなくなってしまう様子がとても好印象なARATAさん。手にしたマイクの何かが気になるらしく上にかざしたり振ってみたりしているそのしぐさが実に可愛かったペ・ドゥナさん。8時45分に起きたことがどうやらあらゆることに影響しているらしい板尾さん。監督と共に登壇されたこの3人のトークも楽しく聞かせてもらった。(司会は映画パーソナリティの伊藤さとりさんでした~)
舞台挨拶後にいよいよ上映。
・・・これはまいった。またしても是枝監督にやられた。今年のマイベストランキング上位確定の予感。
オリジナルにこだわってきた監督が業田良家の短編コミックを原作に脚本を起こした本作は、そのためこれまでとは一味違った作風ではある。しかし原作同様けっして単純なラブ・ファンタジーではない。特に急展開の後半、そのあまりにも切ない人形の“生き様”に激しく胸を打たれる。そして観終ってみればいつもと変わらない是枝作品特有の余韻がじんわりと残るのだ。
最初に人形(ペ・ドゥナ)が動き出すシーンから早くも引き込まれてしまった。持ち主の秀雄(板尾創路)が仕事に出掛けるのにあわせまずは瞬きを1回。やがて朝日の当たるビニール製の手足がキュキュっと動き、次いで立ち上がった人形の透き通った影がカーテンに写り込む描写。そして窓の外に伸ばした手に昨夜の雨の名残である物干し竿の雫が落ちる。タン、タタン・・・。人形は言う。「キ・レ・イ」
ぎこちない動作、片言の言葉で街に出てゆく人形は好奇心でいっぱいだ。そして彼女はこの都会の片隅で生きている様々な人たちと出会う。
交番に足しげく通う着物の女性(富司純子)、その交番の警官(寺島進)、小学生の女の子とその父親(丸山智己)、アンチエイジに執着する会社受付社員(余貴美子)、スーパーで食品を買いあさる過食のOL(星野真里)、かつて代用教員だった孤独な老人(高橋昌也)。そしてレンタルビデオ店の純一(ARATA)とその店長(岩松了)。
彼ら、彼女らはみな心のどこかに虚しい思いを秘めている。そんな自分を否定したり受け入れたりしながらとにかく生きているのだ。
空虚感、そして孤独。
空気で膨らんでいるために中身が空っぽな自分と、空虚な心で生きる街の人たち。「私と同じ、空っぽだ」と言う老人の呟きに、自分との接点を感じとる人形。これが悲しい結末へ向かう最初の伏線にもなっている。
純一に惹かれていく人形の様子がとても愛おしい。街灯の下を純一と歩くとき、影が半透明になってしまうのを見られまいととっさに立ち位置を変え、それでも心配になると影が道路に落ちないよう歩道の端っこにささっと移動する。心を持ったことがうれしくてたまらない人形を描く前半を象徴する名場面だ。
そして原作を読んだ監督が一番惹かれたと語る問題のシーン。萎んだ人形のお腹にある空気穴から純一が息を吹き込むだけの話なのだが、私はそこにドキドキするようなエロを感じた。空気穴を探り当てる純一と恥らう萎んだ人形。やがて膨らみ始める人形の身体、手足の動き、恍惚の表情・・・。
文章にするのがためらわれるほどに幻想的で官能的な映像なので、これ以上触れないことにする。撮影に丸一日掛かったという監督渾身のワンシーン、ぜひ劇場でご覧あれ。
心を持っ(てしまっ)た人形が“空っぽ”な人たちと出会い、自分は一人じゃないんだと思い、やがて恋に落ち・・・。
人形の心がだんだんと満ち足りていくこうした過程を、監督は時間をかけて丁寧に描き出す。これはともすると単なる小ネタの連続になりかねないのだが、是枝監督の手に掛かるとそうはならないのがすごいところ。ガラスビン、ペットボトルの風ぐるま、風鈴といったいかにも監督らしいアイテムを使って描き出す詩的な映像は、観客を飽きさせることがない。こうした時間を止めたかのような美しい表現はやはり是枝ワールドに欠かせない要素だと思う。
秀雄が新しい“人形”を買ってきたことを知り、同時に自分が代用品であること、しかも型遅れの安物であることを悟った人形が訪ねるのは生みの親である人形師(オダギリジョー)。ここでのやりとりも今思うとすべて結末につながっているんだよなあ。
人形は燃えないゴミ、人間は燃えるゴミ
そんな人形師の言葉を胸に刻み、“誕生日”の概念も自分なりに理解した人形。あの老人のように純一も自分と同じだと言ってくれたこと、そして自分が愛する人の息で満たされていることの幸福感。そうした思いが究極の愛情となって悲劇を呼んでしまう。
純一の部屋で見つける写真。人形は思う。やはり自分は代用品なのかと。
切ない。たまらなく切ない。この痛いまでの切なさは強烈だ。二人はなぜこうなってしまうのだろう・・・。
心を持ち、恋を覚え、愛する人を自分の息で満たそうと意外な行動に走ってしまった人形が最後にイメージするのは自分の誕生パーティー。ある場所に横たわり、静かにそれを思い浮かべる人形。胸に抱きしめるのはあの女の子が置いていったオモチャの人形。
そして目の前にはかつて純一が名前を教えてくれたタンポポ。その綿毛がすべて風に舞い・・・。
ラストでふと何かを感じた星野真里演じるOLが、窓を開け放ち生まれ変わったようにつぶやくセリフが効いている。どう考えても悲劇としかいいようのない重苦しい雰囲気が、このシーンひとつで一瞬のうちに違った印象に転じる。そしてこのセリフから人形の最初の言葉が思い出された時、私は涙があふれそうになった。
非生物が何かのきっかけで自我に目覚めてしまうという筋書きの作品は少なくないが、心を持ったことの大きな喜びと深い哀しみの両方をここまで鮮烈に描き切っている作品は他にないかもしれない。
そして何よりすばらしいのはこの作品が人形の映画ではなく、けっきょくは人間の映画だということ。空っぽの心、満たされたい思い、誰かの代用品・・・。誰もが抱えるこうした部分を人形に投影した本作は、そういう意味でも痛く切ないのである。傑作。
★『空気人形』公式サイト
この記事へのコメント
公開舞台挨拶だった渋谷では、板尾さんが、カンヌで上映中寝ちゃった話をしたらしいですねえ~。
さすがに、是枝監督も複雑だったようですが。。
涙するペ・ドゥナさんに ARATAさんは ハンカチを差し出してくれたとか??
いいですよねえ。さりげなく 泣いてしまった女性にハンカチを渡せるオトコって。(あ、話がそれましたっ)
ペ・ドゥナ以外の配役は考えられない作品でした。
それにしても、かわいかった~~♪(と、また映画の内容とは関係ない・・・)
いろいろな何かを感じてくれればと語っていたキャストの方の言葉そのまま、そっくり受け取れたような気がします。
もう一度見たいです~~~
「歩いても~」同様チネチッタ狙ってたら、今年は舞台挨拶なし。となると電車音痴の私が迷わず行けそうなのがバルトかシネマライズ。ということでバルトのチケットを取りました~。
けっきょく初回のバルトよりもシネマライズのほうが盛り上がったみたいですね。
是枝監督はキャスティングの才能もすごいといつも思いますが、本作のペ・ドゥナはもうほんとにこれ以上ないほどに適役でした!
たどたどしい話し方、お人形さんのような愛くるしい顔立ち、そしてラブドールを連想させる美しい身体・・・。
はい、ほんとにいろんな物を感じました。雑然と並べられたようですべての映像に意味があるんですよね、是枝映画って。
舞台挨拶に行かれたとはうらやましいですー。
本当にさすが是枝監督!と思うばかりのせつなくステキな映画でしたねー。
生々しいリアルなイタさと詩情が同居しちゃうなんて感動的です。
そうそう、ガラスビンや風鈴、光や風と補完し合うものたちの存在もステキでしたねー
キャスティングからして是枝監督の素晴らしさを感じましたよ。
それとオダギリジョー演じる人形師が語った「人間は燃えるゴミ」という表現は見事ですよね。
ゴミになるか遺体になるかは全て自分次第って言われているようでしたよ。
是枝作品の舞台挨拶は二度目です。すっかり虜です(笑)
生々しさは強烈ですが、それをふっと和らげるような詩的な映像がまた素敵でした。今回は「透明」なアイテムとそこに存在する光や風がとても印象的でしたね。
ペ・ドゥナと仕事をしたいと常々思っていたという監督にとって、実に9年も温めていた本作はまさに運命の組み合わせだったように思います。
脇役陣も豪華と言うかにくいと言うか、最高でした。そういえば「ディア・ドクター」とダブる方が何人かいるのも面白いです。
心を持った人形、そして心を失っている
空虚な人間たち…心の交流が紡ぎだす世界感に
何度も見たくなりました。
今度、訪れた際には、
【評価ポイント】~と
ブログの記事の最後に、☆5つがあり
クリックすることで5段階評価ができます。
もし、見た映画があったらぽちっとお願いします!!
空っぽな人形と空っぽな人間たちをうまく対に描いていましたね。両者の不思議な交流は切なくも心地よく、是枝ワールドにどっぷりと浸れました。
私もきっとまた観たくなりそうです。
是枝監督は、なかなか当地にまでは来てくれず、お会いしたことないです・・。うーん、生で見てみたい!
結局、人間なんて、空虚な生き物ですが、でも、何かで満たしたい、満たされたい・・・。
その時、何かあったかい一歩があるんじゃないかなあ・・・という空気がなかなかよかったです。
しっかし、ペ・ドゥナ!!すさまじかったですね。
何をおっしゃいます~。そちらこそ矢口監督等交流がおありのようでうらやましい限りです!
はい、本作はペ・ドゥナちゃんがすべてといっても過言じゃないですね!
脱ぐ脱がないは別にしても、彼女と同年代の日本の女優さんで思い当たる方がいませんよ。
是枝作品の突き放すような冷酷さとほっとさせるあったかさがたまりません。
やっと観ることができました。上映してくれたシネコンに感謝、感謝です。
テーマ、俳優、表現方法など、
観客それぞれが、観て、感じ取ったことについて、
語り合えるポイントがとっても多い作品ですね。
そういう作品って、いつまでも何かが心にしみ込んで、
観た後何年経っても、ふとしたはずみに思い出すことがあって、
その時々に新しい発見があったりするんですが、
この作品もそんな大事な作品の1つになると思います。
上映劇場少ないですよね。近くに来るのが待てなくて私も初日に電車乗り継ぎました~。
そうですね。みなさんの感想を拝見すると、ああ、あそこはこういう解釈もあったかとか、新発見や共感がどんどん膨らみます。
ただ面白い、悲しい、怖い、感動といった感じ方では収まりきれないんですよね。それが是枝映画のたまらない魅力でもあります。