『ALWAYS 三丁目の夕日'64』・・・東京タワーと新幹線とブルーインパルスと
すっかり御馴染みの夕日町三丁目の面々だが、淳之介と一平がすっかりお兄さんらしくなっていてちょっとびっくり。彼らの成長は50年代から60年代への時の移ろいをうまく感じさせてたりもする。
60年代、高度経済成長の真っ只中の日本に満ちあふれる活気も、映像から、そして音からじわじわ伝わってくる感じで、山崎監督こだわりのVFXが作り出す町並みは三丁目の小さな商店街も銀座の大通りも生き生きと輝いていた。
作家志望の淳之介の巣立ちのシーンは胸が詰まる。
茶川の少年誌の連載が思いもよらぬ形で打ち切りになるのだが、これに大きくかかわることになる淳之介に対して茶川の取る一見非情な行動は、かつて自分が父にされたことと同じ。父の死に際して初めて父の真意を知り号泣した茶川が、編集者に協力を頼んで打った大芝居だったのだ。泣かせるのはそんな茶川の本心を淳之介がちゃんとわかっていたこと。このふたりはとっくに本当の親子になっていたんだよね。
で、このシーンのキーアイテムである万年筆。これは第一作に登場する物なので、前作、前々作未見の向きは本作鑑賞前にぜひ観ておくことをオススメする。感動の度合いが全然違うよ~。
六ちゃんの嫁入りエピも涙が止まらない。
怪しい噂の付きまとう菊池先生の本当の姿に思わずホッとした。なにせ『モテキ』の印象が記憶に新しい森山未來。純真な六ちゃんにプロポーズなど言語道断。仮に堤真一が許してもオレが許さねぇくらいのつもりで観てた私(笑)
菊池先生失礼しました。六ちゃんとお幸せにね。
一平の淡い初恋(?)的な出会いと別れもよかった。親戚(はとこ同士?)の女の子が最後に駆け戻って来ての一言。これ以上ないほどのベタなセリフなのに、いや~泣けた泣けた。
宅間先生の“みんなが上を目指している時代”というセリフがある。
当時世界で最も高い自立塔だった東京タワーも、同じく世界最高速をたたき出した超特急新幹線ひかりも、開発・製造・建設にかかわったすべての人たちの上を目指そうとする熱い志があったからこその成果であろう。
当時を生きた人々のそうした姿はけっして映画の中の作り事ではない。大きな震災、雇用不安、低迷する経済、政治不信・・・。そんな今を生きる私たちもまた、文句を言いながらうつむいてばかりいないで、胸を張り上を向いて歩いていかなければいけないんだよなあ。
堤、薬師丸、温水、そして山崎監督の4人は1964年生まれとのことで、本作にかける想いも一入だったことだろう。ちなみに私は60年代後半の生まれだが、同世代が集うと必ず話題に出るのが64年(昭和39年)の東京オリンピックであり、この国民的行事開催が自分の生まれる前だったか後だったかは何気に重要だったりするのだ。生まれが昭和30年代か40年代か、これいろいろと大きいんだよねぇ、イロイロと(笑)
えー、なんだか支離滅裂な感想になってしまったが、とにかく泣いて笑って笑って泣いての人情劇。隣人がずかずかと平気で上がりこんでくるような近所づきあいは今の世の中なかなか難しいだろうし、正直抵抗も・・・。
でも、そんな日常がうらやましく思えてしまうのも事実。時に度が過ぎるおせっかいや怒号飛び交う中、それでもこの町にはホッコリとした優しい温もりが溢れている。
さて。最後はSOARらしく、東京オリンピック開会式当日のブルーインパルス話で本記事をしめたいと思う。
開会式当日、14時30分に入間基地を離陸した5+1機のF-86Fブルーインパルス(ハチロクブルー)は、江ノ島→新横浜→茅ヶ崎を周回しながら時間を調整。15時08分、予定より3分遅れの選手宣誓のタイミングにピタリと合わせ江ノ島をヒット。5機とは別にさらに上空を飛ぶ予備の6番機の指示を受けながらフォーメーションを正確に維持しつつ、演技開始ポイントである赤坂見附交差点上空を一直線に目指す。
高度1万フィート速度250ノットできっかり5分後に赤坂見附に到達した5機は、速度を維持したまま一斉にスモークオン。60度バンクで2G旋回をスタート。ジリジリと損失する速度をパワーで修正しながら30秒、各機が直径6千フィート(1.8キロメートル)の巨大な円を描き切った。
江ノ島に向かうハチロクブルーに対し当日の入間管制は“any ALT OK”、すなわち「好きな高度で飛んでよし」というクリアランスを出したと言われている。そう、この日の東京の空は他の航空機の進入が厳しく制限され、いわばブルーのために用意された独占ステージでもあったのだ。(報道関係機を除く)
劇中では密集編隊を組んだ5機がこちらに向かってきてブレイクするが、実際の彼らはスモークストップ後、互いのニアミスに気を付けつつ直ちに秋空の高みへと上昇し、背面飛行状態で自分たちの描いた完璧な作品を上から眺めたそうだ。
事前の訓練で一度も満足いく五輪を描けていなかったブルーのパイロットたちが、雨の前夜、翌日の開会式フライトのキャンセルを確信し飲み明かしてしまった話はあまりに有名だが、翌朝二日酔いの頭でホテルの窓から見上げたまさかの秋晴れの空は、むしろ彼らにいい意味での開き直りを与えたのだろう。日本には高度な技術を持つアクロチームがあるということを世界に知らしめてくれた。
自衛隊に対する風当たりがまだまだ強かったこの時代にあって、彼らのこの偉業は各方面にいろんな意味で大きな影響を与えたに違いない。
当時まだ生まれてない私がその18年後に壮絶な出会いを経験することになるブルーインパルスも現在は三代目。国産の練習機カワサキT-4を使用機とし、星(スタークロス)、ハート(バーティカルキューピット)、桜(サクラ)などの図形を大空に悠々と描いてみせるスペシャリスト集団だが、1964年10月10日の東京の空に出現した大きな五つの輪は、紛れもなくその原点だと思うのだ。
参考文献
ブルーインパルス【青い衝撃の歴史】
ブルーインパルス 50年の軌跡
ブルーインパルス 大空を駆けるサムライたち
関連過去記事
“青い衝撃”が墜ちた日・・・2005/11/14
この記事へのコメント
時に流れを感じると共に、多分我々もこれからは鈴木オートや茶川たちと同じ道を歩んでいくのでしょうね。
若かりし頃夢中になったアイドルたちが、自然に母親役を演じるようになってしまいましたよ。年取ったなあ自分。
このシリーズに登場する住人たちは必ずしも前向きではないのですが、すねたりいじけたりしながらも志は高く持っているんですよね。そういう生き方をしたいものです。
そして見終わった後、キャストと共に眺める夕日にホッとさせられます
茶川の喘ぎと苦しみも 淳之介と関連して原点である父親との確執…と思っていたものが
単にすれ違っていた愛情の証だと気づき、それを淳之介に伝えて行く…
茶川は本当の男になって行くのでしょうね
ところでブルーインパルスの描く五輪が印象的でしたが
舞台裏のお話も興味深く読ませて頂きました
それから忘れていました ゴメンナサイ^^;
お断りなしにSOAR さんのブログ link させて戴いていました
これからもどうぞよろしくお願いします
不思議な感覚になる映画でした。
ブルーインパルスの五輪の舞台裏、
読んだり聞いたりで知っていたので
映画の再現が楽しみでした。
思ってたより短かったのは残念でしたが、
やっぱり感動しました。
元気がでるな~!って感じです♪
涙も笑いも非常にベタなんですが、それが何とも心地よいのがALWAYSなんですよね~。ラストの夕日も美しく温かく・・・。
こうしたイベントに参加するジェット機はとにかく時間調整が大変。なにせ1秒あれば10キロ以上の距離を進んじゃいますから。彼らは江ノ島から国立競技場まで5分で到達するための速度を250ノットと割り出してましたが、江ノ島上空で止まって待機はできませんから、新横浜と江ノ島付近を旋回しながらタイミングを計っていたんですね。
5機が同じ大きさの輪をどうやって描いたかなど、裏話は尽きません。
リンクの件、ありがとうございます。事後報告でけっこうですよ。後ほどこちらからもリンクさせていただきますね!
私は東京オリンピック後の生まれですが、それでもどこか懐かしさを覚える世界観がとても心地よかったです。
山崎監督ですからブルーのシーンは詳しく作ってくれるのではと思ってましたが、残念ながら予告やメイキング番組で見せたものがすべてでしたね。
ポスター等で東京タワーの向こうを上昇していく編隊の絵がありますが、スモークを引く5機とスモークなしの1機というのが実際の当日の編成をうまく表していて芸が細かいです。
なるほど、そうなんですか。当時生まれてないので気付きませんでした。
「シェー」も「イヤミ」も知っているのですが、作品で描かれた1964年より以後の物であることは初耳でした。
まあ設定は64年ですが、特定の時期ではなく60年代全般のの日本の情景や風俗を懐古的に描いた作品ということなんでしょうね。
「おそ松くん」「イヤミ」は'64以前の作品ですがブレイクしたのが'65からです。いろいろと知ったかぶったこと、中傷することは、今後もうやめにします。申し訳ありませんでした。'60年代は、私が幼稚園~小学校3年までの時代で見たことがいちばん記憶に残っていたのかもしれません。
発表は64年以前、ブレイクが65年以降ということですね。了解です。ありがとうございました。