『悪人』・・・真の悪人は誰なのか

原作は未読ながら、ボリュームある小説を一本の映画にするための省略や圧縮の苦労(工夫)が随所に感じられた。登場人物一人一人の描写、さらにはそれぞれの係わり合いの描写がより掘り下げて描かれていればもっとインパクトある作品になったのではないだろうか。またこの手の作品に欠かせないハードさも少々ヌルめな気がする。それなりの見応えがあっただけにこのあたりが残念に思えた。

本作で描かれるのは人間が持つ善の部分と悪の部分、その境界線のあいまいさである。それは善悪両者を持ち合わせるその人の性格上の二面性にも言えるだろうし、善かれと思って(あるいは自然に、無意識に)する行為が時に紛れもない悪であったりすることにも当てはまるだろう。

殺人を犯した青年祐一は犯人であり作中の表向きの“悪”である。しかし被害者の佳乃がけっして“善”なわけではない。男を手玉に取る悪女ぶりが事件につながってしまったわけで、祐一が手をかけるに至った経緯は単純なようで実に複雑だ。一方佳乃の視点で見ると今度は増尾という“悪”の存在があって、この男こそが殺人事件の真の悪人なのかもしれない。佳乃の父親がその憎しみの矛先を、祐一ではなく最後まで増尾に向け続けたことが非常に印象的だった。

孤独で頑なな祐一の心の隙間を優しく埋める存在となった光代。しかし彼女との出会いは祐一にとって本当の救いとはならなかった。自首を決意した祐一を土壇場で思いとどまらせてしまった光代。彼と一緒にいたいという彼女の純粋な想いは、結果的に本作中最大の悪となる。祐一よりもむしろ彼女こそが悪人になってしまうという皮肉・・・。

警官隊が灯台に迫るラストで発作的に光代の首を絞める祐一の狂気の目が空恐ろしかったが、これは逃避行を手助けする形になった彼女を救うために彼がとっさに取った彼なりの“善”の行動だったに違いない。逃亡の協力者ではなく、連れ回され殺されかけた被害者に見せるために。
この不幸なカップルがお互いを思いあうがゆえのこうした善意と悪意の交錯が生み出したのは、やりきれない悲し過ぎる現実だった。夜の灯台で凍える足を空き缶で沸かした湯で温めあった時の二人の優しい笑顔も、最後にフラッシュバックされる海を見渡す二人の幸せそうな笑顔も、もう戻らない・・・。

柄本明、宮崎美子、そして樹木希林。この3人はもっと見せてほしかった・・・と言ったら贅沢だろうか。
佳乃の父親を演じた柄本はやはりうまい。雨が降る事件現場で幻の娘と向き合い頭をなでるシーンは本作きっての名シーン、いや、今年公開の全邦画中屈指の名シーンとなることだろう。
希林さんはなんといっても走り去るバスに深々と頭を下げるシーンが忘れられない。それにしても彼女のエピソードだけがどうも浮いてしまったように感じるがどうだろう。松尾スズキがハマり役のインチキ漢方屋とのやりとり、入院した夫との関係、マスコミに立ち向かう勇気、そしてあのスカーフ・・・。他の脇役陣がうまい具合にすっきり描かれているだけに、彼女のパートの詰め込み過ぎが気になってしまった。

昨年ブレイクした感のある満島ひかりを初めて劇場のスクリーンで拝見した。
感情むき出しの堂々とした迫力の演技は、ベテランや中堅どころが勢ぞろいのキャスティングにあってまったく見劣りしない。序盤に同僚たちとの語らいのさなかに一瞬見せる女の怖さも見事だ。彼女、立派な女優さんになったねえ・・・。
さかのぼること10年ほど前、エイベックス系アーティストの曲を片っ端から聴いていた時期が私にはあり、Folder5のアルバムも一枚だけ(『HYPER GROOVE 1』)今も手元に残っている。帰宅後久しぶりにCDラックから引っ張り出してみた。笑顔でポーズを取るメンバーたちのジャケ写、その中で唯一すまし顔の彼女がなんとも初々しい。今後の活躍をおおいに期待したい若手女優の一人である。

映画化の話が出る前から祐一役を熱望していたという妻夫木聡には圧倒された。元来彼の泣きわめき演技が好きではないのだが、本作で彼が見せる凄み、無気力さ、狂気、そして優しさ・・・。それらが混在する不安定な心情が、主役にしては異様にセリフの少ない役どころにあって見事に表れていたと思う。

最後になったが、光代を演じた深津絵里のモントリオールでの最優秀女優賞受賞おめでとう!

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