『ヒューゴの不思議な発明』・・・映画で映画を語る

第84回アカデミー賞で5部門受賞に輝いたマーティン・スコセッシ監督の話題作。
時計台に隠れ住みながら父の残した機械人形をコツコツと修理する日々を送る孤独な少年ヒューゴは、玩具屋ジョルジュとその養女イザベルに出会う。イザベルが持っていたあるアイテムにより動き出した機械人形が描いた一枚の絵をきっかけに、ヒューゴとイザベルはジョルジュの意外な人物像に迫っていく。

こうして始まる寡黙な少年と活発で行動的な少女による謎解き冒険物語なのだが、図書館で彼らに声を掛ける学者ルネの登場により冒険はひとまず終了。VFXの先駆者であるジョルジュ・メリエス監督のエピソードへとシフトする。
映画草創期へのオマージュに満ち溢れたこの後半こそがスコセッシ監督から我々観客へのメッセージであり、スコセッシの映画愛ともいえるその思いは散りばめられる数々の印象的なセリフを通して映画ファンならずともひしひしと伝わることだろう。

その代わり、本来二つに分けて撮るべき作品をひとつにまとめてしまったような印象がどうしても拭えない。的外れの邦題と予告編による意図的なミスリードにはあえて触れまい。そんなことより、単に私はヒューゴとイザベルの冒険の過程をもっと楽しみたかったのだ。エイサ・バターフィールドとクロエ・グレース・モレッツが演じる小さなカップルがあまりに魅力的だったので。

鍵穴と鍵、父の残したメッセージ・・・。
奇しくも『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』と共通するそんなテーマから広がっていくかに見えた冒険ファンタジーは残念ながら思ったほどの盛り上がりに至らなかった。序盤でヒューゴがあれほど執着した亡き父の残したノートのその後など、パパ・ジョルジュと徐々に心を通わせていく過程の中できっちり見せて欲しかったなあ。
図書館でメリエス監督のことを調べているヒューゴたちの前にその本の著者ルネが現れ、一気に話が進んでしまったのもあまりに唐突。公安官、花屋、本屋、楽団等駅周辺の住人たちがせっかく個性的な面々として描かれているのに、二人とのふれあいがほとんどないのもやっぱりもったいなく思う。

ちなみにオスカー5冠の内訳は撮影・美術・音響編集・録音・視覚効果の5部門。なるほど、時計台内部、俯瞰で見せるパリの夜景、駅の雑踏、そして機械人形等々、その映像美には目を見張る物があった。冒頭での凱旋門と放射状に配される12本の通りを時計に見立てる美しい映像など、まさに本作を象徴するカットである。
そしてスコセッシ監督が伝えたかった初期の映画への深い敬意。本作に見出すべきはストーリーではなくこうした部分なのかもしれない。ストーリーに期待した私としては正直残念な思いが残ったのも事実だけれど・・・。

とはいえスコセッシの細やかな演出が光るシーンもけっこう多くて、これはこれでうれしかったりもする。
例えばヒューゴとイザベルが手をつなぐシーンが何回かあるのだが、そのどれもが実にイイのだ。特に印象的だったのが書店の二階、乱雑に山積みされた本の中を歩く二人がどちらからともなく手をつなぎあうシーン。自然に会話を交わしながら数秒後にはもう離している、そんな二人が何ともいえず可愛らしかったよ。二人の表情があまり見えないアングルなのがまたニクイ。

映画ファンならば感じ取れるものがとても大きい作品であり、同時に映画で映画を語るのにこんな手法もあったのかと感心させられる一本でもある。これはもうスコセッシ監督のセンスに脱帽。
ただストーリーに過度な期待をして臨むとがっかりする場合もあるので、これから鑑賞する向きは要注意。

いずれにしろ終盤からラストシーンへの流れが優しく温かで心地よいことは間違いない。どこをどう評価しようが、“いい映画を観たな~”という余韻は必ず味わえると思う。
かく言う私も残念とかいろいろ書いたわりにトータル的にはかなり気に入ってしまい、既に2回目の鑑賞済・・・(笑)


"『ヒューゴの不思議な発明』・・・映画で映画を語る" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント