『HOME 愛しの座敷わらし』・・・リアリティとファンタジーの均衡

田舎の風景、古民家へ引っ越し、家族再生、そして・・・「何かいる!」

こういう話は実に多い。しかもいい話が。
訳あって都会を離れ自然豊かな田舎に移り住んだ家族が、妖怪や幽霊に出会うことでひとつにまとまっていくという再生の物語にはなぜか不思議な魅力がある。ジブリの代表作『となりのトトロ』もそうだし、つい先日観たばかりの『ももへの手紙』もそうだった。その対象を河童や人魚にまで広げ、映画に限定せず小説、コミック、テレビアニメ等も含めてみれば、これはもう数えきれないほどの名作があるだろう。
“日本人のDNAがこういう話を好むのだ”とは映画ブログ「こねたみっくす」のにゃむばななさんの弁だが、私もまったく同感だ。人は古来より未知の存在を(実在するしないはともかく)見出し、それは恐ろしいものだという前提の上で憎めない存在として友好的に捉えてきた節が確かにあるわけで、だからこそこの手の作品が我々の心に心地よく入り込んでくるのだと思う。

さて本作。
地方に左遷されたサラリーマン高橋晃一とその家族が、越してきた古い家で次々に遭遇する奇妙な現象。それはこの家に永く棲んでいる座敷わらしの仕業(いたずら)だった。
ただしこの話、座敷わらしをめぐる騒動や交流を中心に描いているわけではない。前述したようなよくある話のスタイルを取りながらも、よくよく考えてみるとこの高橋家の面々、5年生の智也以外はそもそも座敷わらしと明確な接触などないのだ。仲良くなった(ように見える)智也にしても、会話は成立していない。
その姿がちらりと見えたような、鏡に“何か”が映ったような、物音がしたような・・・そんなかかわり加減が私には絶妙に思えた。

この家族、それぞれが悩みや問題を抱えている。最終的にそれらはみな克服されるのだが、座敷わらしが力を貸してくれたかのような描写はこれ、何にもないのだ。単に座敷わらしの話題を通して姉弟は友だちを増やし、母親は近所付き合いを深め、そして家族の隙間が埋まって行ったに過ぎない。もちろん彼らは座敷わらしの存在を信じていたし、それが幸運をもたらす存在であることも知っていた。でも、困難に打ち勝ったのは自分たちの力であり、家族の力であり、お父さんの力。座敷わらしはその存在をさり気なくアピールすることで、彼らが前を向き上を向くためのきっかけを作ってくれたんだよね。
妖精などが不思議な力で一方的に主人公たちを助けてくれるファンタジーも嫌いではないが、あくまで現実重視にして自己解決の家族再生ドラマにほんの少しのエッセンスとして座敷わらしを登場させた本作、私は大いに気に入った。

本作のもう一つの魅力は会話劇である。
隣の家(といってもずいぶん遠い)で、家族が年寄二人から話を訊くシーンが最高。観た方ならお分かりのように、“通訳の通訳”もコント並みに爆笑だったし、とにかくこの場面での掛け合いが実によくできていた。
続いて盛岡のレストランでの緊急家族会議シーン。これまた大爆笑。事前に長女梓美と晃一がある勘違いをしていることが伏線となってのこのシーン、こちらもテンポのいい家族の掛け合いが楽しい楽しい。

左遷からあっという間に本社復帰というのはサラリーマンのサクセスストーリーとしてはやや出来過ぎであろう。でも晃一の物腰の柔らかい営業活動とあきらめずに通い続けた熱意が、気難しい取引先の心を動かしたのは事実だ。そしてそう、彼にはどうしても見えなかったけれど、やっぱり座敷わらしの応援があったのだから(笑)

名残惜しい遠野を離れ、再び東京に戻ってきた高橋家。「ろくちゃん」と名付けた座敷わらしに置いてきたはずのおもちゃやお菓子がなぜか車内に。不思議がりながら夕食のレストランに入る5人を迎える店員の一言が物語の締めくくりとして見事に決まる。スザンヌ演じる店員のこの一言、これはぜひとも劇場でご確認いただきたい。

東京で再び始まる高橋家の新たな日常がきっと素晴らしい毎日になるであろうことを予感させる、実に爽快なラストシーンである。


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