『ハート・ロッカー』・・・もうひとつのイラク戦争

イラク戦争を題材にしながらこの作品にはスーパーホーネットも、ストライクイーグルも、アパッチロングボウも、エイブラムスも、ブラッドレーも登場しない。

戦場の兵士たちを主役に据えながらも、指揮命令系統をめぐっての上官との確執や衝突といったありがちな描写もなく、ただただ下士官と兵からなる爆発物処理チームの日常を追い続ける。(士官と彼らのやりとりが一定時間描かれるのはわずか1シーンのみだったかと思う)

にもかかわらず本作が描く真の戦争に圧倒されまくりだった。
バグダッド市街をハンビーで移動しながらひとつひとつ爆弾の処理をしていく主人公たちが発するピリピリした緊張感。言葉一つで互いの信頼関係さえも危うくなるような極限の任務。爆弾に向き合う者、周囲の民間人を警戒する者。そんな彼らの集中力をそぐような戦闘機の爆音が絶えず上空から響き渡る。
派手な戦闘シーンやアクションがない代わりに徹底した緊迫感が途切れることなく続き、DVD売りの少年との束の間の交流などもいい意味で余韻など感じさせてはもらえない。途中挟まれる膠着状態の狙撃戦も映像や間合いが秀逸で、長尺作品ながら最後まで時間を忘れてのめり込んでしまった。

最初のミッションで彼らが処理する“爆弾”に私はまず驚いた。セリフでも出てきたがこれは爆弾として作られ仕掛けられたものではなく、155ミリ榴弾を細工したものなのだ。先端に信管を仕込み電気コードをつないだ様は、他の映画やコミックに登場する爆弾とは全く違う。二重三重のトラップが仕掛けられ“●●をしたら即爆発”という代物を相手に、例えばジェド・豪士のようなスペシャリストが額に汗をにじませつつ解体し、最後はお約束の“赤と青どっちだ!?”に至るあの手の爆弾ではないのである。

陸自のFH70、75式、99式といった155ミリ榴弾砲の実射を毎年見学する機会がある。公開演習ということで火薬量をかなり減らしているにもかかわらず、数キロ先の弾着地点から観客席にその都度到達する熱風を思い出した。
あの砲弾、しかも火薬がフルに詰まった物を利用した爆弾が目の前に転がり、それを手作業で処理するという状況が現実のイラクで行われていたことに言葉もない。“HurtLocker”という表現を初めて知った(heartではなくhurt)。恐怖さえも超越した極限の精神的ストレスに異国の戦地で絶え続ける兵士たちの姿・・・。

戦争映画の二大テーマともいえる反戦思想もアメリカ的なプロパガンダも本作では明確にされない。しかし一方が爆弾を仕掛けもう一方がそれを処理するという繰り返しに何の生産性もないことは否が応にも伝わってくる。
そして真に恐ろしいのは冒頭で提示されるように兵士にとって戦争が麻薬となり得ることだろう。ブラボー中隊での任務を終え家族との安息の日々に身をおいたはずのジェームズは、デルタ中隊のメンバーとして輸送ヘリチヌークのランプハッチから再びイラクの地に降り立つ。

防爆スーツに身を包み爆弾に挑まんと歩みだす彼の後ろ姿のラストシーン。
これがリアルな戦争なのだ。

★3/8 追記
第82回アカデミー賞において、作品賞 監督賞 編集賞 脚本賞 録音賞 音響編集賞の6部門受賞!
キャスリン・ビグロー監督、オスカーおめでとう!!

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